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福岡地方裁判所小倉支部 昭和47年(ワ)306号 判決

原告

国越ヨシ子

外一名

右原告ら訴訟代理人

市江昭

岩谷彰

被告

松尾典臣

右訴訟代理人

倉増三雄

主文

一  被告は、原告国越ヨシ子に対し金一七三万一九九〇円同国越展に対し金一九六万三九七九円およびこれらに対する昭和四七年四月二五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その七を原告らの、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告国越ヨシ子に対し金四七六万四五〇〇円、同国越展に対し金七五二万九〇〇〇円およびこれらに対する昭和四七年四月二五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。との判決ならびに仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁。

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

〈以下、事実欄略〉

理由

一原告ヨシ子が訴外亡国越佐太行の妻であること、被告が精神科の専門病院である松尾病院を経営する医師(精神科医)であること、原告ヨシ子が昭和四五年一一月一四日、佐太行を小倉南区所在の九州労災病院の神経科に入院させていたこと、被告が同月一七日右労災病院の依頼により往診し、佐太行を診察して同人が初老期うつ病であるとの診断をしたこと、佐太行が同月一八日同病院を退院し、一時帰宅したことは当事者間に争いがない。

二本件看護診療契約の成立

〈証拠〉によれば、佐太行は初老期うつ病の病状がはかばかしくなく、労災病院内でタオルを長くつなぎ合わせるなど、自殺企図を窺わせるような行動もみられたこと、そこで同病院の担当医は、同病院には自殺防止の看護体制がないためもあつて、その看護体制もある精神病院である被告経営の松尾病院への転院をすすめたこと、原告ヨシ子は、自宅に連れて帰れば、佐太行が良くなるのではないかと思い、一旦右労災病院を退院させて自宅療養させることを考え、同病院を退院させたものの、うつ病の症状が悪化するようであつたので、この際医師のすすめる松尾病院への入院が最良の策であると判断し、昭和四五年一一月二一日、佐太行を伴つて同病院に赴き、右佐太行の自殺の危険性を告げた上、被告に対し、入院による同人の看護と診療を求めたところ、被告においてこれを承諾し、即日佐太行を入院させ、同人の看護と診療に当ることになつたこと、その当時佐太行は、不眠・食欲不振・不安愁訴・焦燥等の症候を示し、初老期うつ病としても相当に重篤なものであつたことが認められる(但し一部争いない事実を含む)。

右認定の事実によれば、被告に対し佐太行の看護と診療を積極的に依頼し、その承諾をとりつけたのは原告ヨシ子であり、当時佐太行には感情や思考上の障害が存したのであるから、この場合、原告ヨシ子と被告との間において、原告ヨシ子を要約者、被告を諾約者とする第三者(佐太行)のためにする看護診療契約が成立し佐太行が後に被告の看護診療を受けることにより黙示的に受益の意思表示をしたと認めるのが相当である。

そして、右契約は、被告が佐太行の初老期うつ病につき、現在の精神医学の知識と技術を駆使して有効な診療行為と自殺防止を含む適切な看護行為を行うべきことを内容とする準委任契約と解される。したがつて、被告は受任者として、善良な管理者の注意をもつて、その債務、とりわけ自殺の危険に鑑み、その予防のために必要十分な看護を与える義務があるというべきである。

三佐太行の症状と被告の看護診療の経過

〈証拠略〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  佐太行は、前記のとおり一一月二一日、松尾病院に入院したが、同人は、被告が労災病院で診察した時よりも初老期うつ病の病状が悪化して、食欲不振、意欲障害、不眠、不安愁訴等の抑うつ感情が強く昏迷状態の症状を呈し、被告の診断によれば、佐太行に自殺念慮があるとはいえ、昏迷状態にあるため、それを実行に移すことすら不可能な状態とみられたが、同時に、このようなうつ病患者は、右昏迷状態を脱し、回復期に向つたときに自殺の実行を企図する危険が少くないことが、精神医学的に常識とされていた。被告はこのような佐太行の初老期うつ病の治療として、まず抑うつ気分と不眠を除去することが先決であると判断し、抗うつ剤であるヒルナミンと睡眠剤であるイソミタール等の注射をして、その症状を緩和すべくつとめると共に、一方、同人に自殺の危険性のあることを考えて、被告は、佐太行を看護上の「要注意者」として指定し、他の医師、看護婦らに対し、佐太行の行動につき特段の注意を払うよう指示していた。

2  松尾病院における一般的な治療・看護の体制としては、医師、看護婦らによる終日勤務制をとり、夜間は各病室を一時間ごとに巡回するよう定めて実施し、また、被告自身、院長として週二回の定例回診をするほか、毎日一回は各病棟を巡回して患者との接触をはかつていた。

3  入院翌日の二二日には、佐太行は抑うつ感情が強いうえ発熱を示し、翌二三日に至つて解熱してきたものの、二四日には、病室内の他の患者のベッドにもぐり込むなどいわゆる譫妄状態を呈したので、被告は、右は前記薬剤の副作用によるものと判断し、右同日からはヒルナミンを二〇〇ミリグラムから一五〇ミリグラムに減量したところ、当面の右症状は緩和したが、抑うつ気分、不安愁訴等の症状は持続したままで推移した。

4  ところで、原告ヨシ子は、佐太行の入院時、ネルの着物に幅約八センチメートルの帯(当事者の主張中寝巻の腰ひもというのはこの帯を指すものと認められる)を締めさせ、その上にウールの丹前を着用させていたが、そのほかにパジャマとその上に羽織る茶羽織(これらには帯やひも類は付いていない)をも用意して入院させた。そして、普段はパジャマと茶羽織で過すのが、適当と考え、看護婦に対し、佐太行に、平素パジャマを着用させてほしい旨依頼しておいたが、その後、自殺防止のためには入院の際締めていた前記の帯を佐太行の身辺に置かない方がよいと考え、実際にも、佐太行は入院後当時パジャマを着用していたので、入院の際着ていたネルの着物を着用する必要はなく、前記帯も必要でなかつたので、同月二五日頃、担当医である緒方医師に面会した際、佐太行の右帯を取り上げておいてほしいとの申し出をした。しかし、病院側は、佐太行の看護治療上、同人から帯を取り上げる程のことはないものと考え、進んで右帯を取り上げることまではしなかつた。

5  同月二七日頃から、佐太行の病状は、やや快方に向い、それ以前被告の問診に対しても容易に返答をしなかつたのに、少しづつ返答をはじめたり、その表情も明るくなり、また、被告の死にたいかどうかとの質問に対し、「もう、死にたいとは思わない」と答えるなど、回復のきざしがみられるようになつた。

6  同月二九日、原告ヨシ子は佐太行に面会し、同人が入院後それまで着ていたパジャマを新しいパジャマに着替えさせたが、このとき着物の帯のことが気になつたけれども、佐太行がパジャマを着ていて帯を締めていなかつたのをみて、被告において十分帯につき監視してくれているものと考え、佐太行の前記帯を取り出して持帰ることをしなかつた。一方佐太行は、同日夕刻頃別病棟の娯楽室まで行つてテレビを見るなど、病状の緩和を思わせる行動を示した。

7  同月三〇日早朝、松尾病院勤務の準看護婦である訴外中島百合子が、各病室を巡回して、午前五時頃佐太行の病室に行つたところ、日頃起床の遅い佐太行が既に目覚めてベッドの上に座つているのを見たが、右中島は、寒いだろうと思いながら、佐太行の行動に特別疑問をいだくこともなくその場を立ち去り巡回を終えた。

8  佐太行は、その直後同日午前五時二五分ごろ、病室に隣接する便所(第一病棟二階便所)に、前記の帯を携えて行き、窓の鉄格子上端付近に帯の両端を結びつけて輪をつくり、これに頸部をさし入れて縊死を遂げた

以上の事実が認められ〔る〕。〈証拠判断省略〉

四被告の債務不履行(不完全履行)

1  被告は、本件看護診療契約に基づき、精神医学における現時の水準に照らし、適切な知識・技術を駆使して佐太行の治療にあたるとともに、その入院生活を通して、同人の生命・身体の安全を確保(病状として自殺念慮のある場合は自殺防止を含む)すべき看護義務があるというべきである。しかして、佐太行は、前記のとおり初老期うつ病(初老期すなわち五〇歳前後に初発するうつ病)であつたのであるが、〈証拠〉によれば、うつ病患者の看護上、一般に次の諸点につき注意が必要とされていることが認められる。

(1)  うつ病(初老期うつ病を含む)患者は一般にその症状の一つとして自殺念慮を抱いているものであつて、自殺の危険性が高く、その治療看護上自殺の防止が重要な課題となつていること、そしてそのことは外見的な症状の軽重にかかわりがないので、常時看護の目をゆるめてはならないものであること、また、自殺を実行に移す危険性は、症状の回復期において強く、一日のうちでも早朝の起床時から午前中にかけて多く、午後から夕方にかけて少くなる特徴(いわゆる日内変動)があり、右のような時期に特に監視の必要性が高いものである。

(2)  そしてまた、初老性うつ病患者の自殺の方法としては縊死が多く、したがつて精神科専門医としては、右患者の自殺の防止のため、所持品については厳重に注意して、自殺の用具となるべき危険な物、特に紐、バンド類は所持させないようにする必要がある。

したがつて、精神科医としては、初老期うつ病患者を入院させてその看護・治療にあたるに際しては、少くとも右の程度の看護上の注意義務を尽してこれに当るべきものであり、もし、故意過失により被告ないしその看護・治療上の履行補助者がこのような注意を尽くさなかつたために患者の自殺を防止しえなかつたとすれば、被告は初老期うつ病患者の治療看護を目的とする診療契約上の債務(看護義務)の本旨に従つた履行を怠つたものとして、債務不履行の責任を免れないものと言わなければならない。

2  そこで、これを本件についてみるに、

(1)  前記認定のとおり、佐太行は入院当初から初老期うつ病患者特有の症状が顕著で自殺の危険が高く、原告ヨシ子から特にその危惧を告げられ、被告も右佐太行を看護上の要注意者に指定をしていたほどであるうえ、入院時同人が着用していた帯付のネルの着物は当面不要となつており、原告ヨシ子が担当の緒方医師に対し、帯を取り上げておいてほしい旨の申し出までしたのであるから、被告または緒方医師としては、帯の危険性について十分に配慮し、適当な機会にこれを佐太行の手もとから取り上げる(または看護婦等に命じて取り上げさせる)べきであつたのに、その処置に出ず、これを放置したことは、過失たるを免れない(かりに被告自身は帯の存在を確知していなかつたとしても、補助者たる緒方医師の過失による被告の責任を否定できない)。

もつとも、この点につき被告は、患者から帯を取り上げることは看護及び治療上適当でないと主張するが、その帯が、入院中常時着用している着物の帯であるならば、右主張も首肯し得るけれども、右帯は、佐太行が入院時着用してきたネルの着物に付属したものであつて、その後は、日常パジャマを使用し、ネルの着物は当面不要となつていたのであるから、着用の寝巻きから帯を取り上げるような場合とは性質を異にするし、患者と医師との信頼関係を損わないよう工夫しつつ、佐太行の所持品から帯を取り除くことは決して困難ではなかつたとみられ、この点に関する被告の主張は採用できない。

(2)  また、佐太行は、入院後ほぼ一週間を経た一一月二七日ごろから、うつ病の症状が緩和し、回復期に向つていたところ、うつ病患者の特質として、却つてこの時期が最も自殺実行の危険があつたのであり、精神科専門医たる被告としては、そのことを十分知つていたはずであるから、この時期においてこそ、自ら又は履行補助者をして、佐太行の行動につき特別の注意を用いるべきであつた。とくに、準看護婦訴外中島百合子は、同月三〇日午前五時ごろ、佐太行の病室を巡回した際、同人が普段起床が遅いにもかかわらず、その日に限つて午前五時という早朝にベッドの上に起きて座つているのを目撃したのであるから、同人が看護上の要注意者であることに思いを致し、同人の異常を察知し、同人に適切な言葉をかけてその様子をみる等して、引き続き同人の監視を続けるべきであつたのに、そのようなこともせず、そのまま、その場を立去つた点、右中島の看護上の過失は否定できず、したがつて、同人を看護義務履行の補助者として使用する被告も責任を免れない。

五被告の過失と佐太行の自殺との因果関係

上述したところから明らかなように、佐太行が自殺の用に供した帯を予めその身辺から取り上げ、また、被告の補助者である中島が佐太行の病室を巡回した際、佐太行の異常行動の予兆を感知し、その後の監視を怠つていなかつたならば佐太行の縊死を防止することができたとみられ、かつ、このような処置は、精神医学上の基本的な知識として一般に承認されているところに合致し、本件の具体的場合においてもこれを困難にさせるような特段の事情もなかつたのであるから、被告の前記債務不履行(不完全履行)と佐太行の自殺との間にはいわゆる相当因果関係があるということができる。よつて、被告は本件看護診療契約の債務者としてその不完全履行の結果として生じた損害を賠償すべき義務がある。

六原告らの損害

1  佐太行の逸失利益

(1)  〈証拠〉によれば、佐太行はもと航空自衛隊のパイロットであつたが、昭和四四年一月退職し、川崎重工業株式会社を経て同年七月日本フライングサービス株式会社に入社したものであるところ、同社における昭和四五年一月から同年一一月(死亡の月)迄の一一ケ月間の所得は、金一一七万一六八三円であり、これを年額に換算すると金一二七万八一九九円となることが認められる。

そして、佐太行が死亡時満五一歳一〇ケ月の男子であつたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、初老期うつ病の病相期間は平均約9.6ケ月であることが認められるが、軽快後の予後期間をも考慮すると、従前の職場に復帰することができるためには、少くとも一年余の期間を要したと推認されるから、労働可能期間は五三歳から六三歳迄の一一年間と認めるのが相当である。そして同人の生活費は前記所得年額の五割と認めるのを相当と解するから、これを控除した同人の年間純収入は金六三万九〇九九円となるので、これを基礎にして右可働期間の逸失利益をホフマン式計算方法により算定すると、その現価は、金五四八万九九二四円となり、これが佐太行の蒙つた得べかりし利益の喪失による損害額と認められる。

2  減額の事由

一般に、民法第四一八条及び第七二二条二項のいわゆる過失相殺の制度は、損害の発生ないし拡大についての相手方債権者(被害者)の過失(実質的には何らかの不注意)を損害賠償責任の有無及び範囲の認定にあたつて斟酌しようとするものであり、本件自殺の如き、その意思に基く意図的行為については、明文上触れるところがない。しかし、本来過失相殺の制度を支えるものは、契約当事者間(債務不履行の場合)における信義則ないし損害の公平妥当な分配の理念であり、損害の発生に自ら寄与した者が損害全額の賠償を求めることが右理念に反するとの考慮にほかならない。そうだとすれば、自らの手で損害を発生させた者は、仮りに他者の過失が競合し、それが損害発生の一因となつたとしても、その損害賠償請求について右理念に服すべきものであることは、なおさらのことといわなければならない。例えば自己の看護を他に委任した者が自らの手でその生命を絶ち、これを理由として看護義務の不履行による全損害の賠償請求権を取得するという如きは、右の理念に著しく背反し、到底許容されないところと言うべきである。もちろん通常の場合は、看護者の過失或いはそれと死亡との因果関係自体が否定されるであろうから、現実に前記の如き考慮を要するのは、本件のような、自殺念慮を疾患として内包する患者の場合以外にはないとも考えられる。もとより、自殺者が精神疾患の結果、完全な意思決定能力も事理弁識能力もない状態で自殺に駈り立てられて、これを実行したような場合は、自殺であるからと言つて看護義務者の責任を軽減することは、前記の理念に副うところではないとの考え方があるかも知れない(最高裁判所昭和三九年六月二四日判決は、過失相殺をするにつき被害者の責任能力の存在は必要ではないが、事理を弁識する知能が具わつていることを要すると判示する)。しかしながら、本件において、佐太行の罹患した初老期うつ病が、自殺念慮を疾患自体の内容として包含するものであつたとしても、同病患者の全員がこれを実行に移すとは限らないこと、例えば大原健七郎著「日本の自殺」〈証拠〉によれば、精神病院在院者の自殺行為数の統計(すべて未遂例)として、内因性うつ病患者七四名中二二名、初老期精神病患者八三名中八名であつたことが報告されていること、また、本件損害発生の主因たる佐太行の死亡が、前記のとおり病状がある程度軽快に向かい、医師の問診に対してかなり明確な返答ができるようになり、テレビを見ることができるようになつた時期における佐太行自身の縊首の方法による自殺であることを考慮すると、佐太行に完全なる是非善悪の弁別能力がなかつたとしても、少くとも或程度の事理弁識能力(例えば縊首することの意味を認識する能力)は有していたものと推認される。したがつて、本件の如くこれに看護の面でかかわつた者の賠償責任を論ずるにあたつて、右のことを全く無視することは、公平の理念に照らし相当ではない。

以上のような観点から、本件の場合、佐太行の損害発生の直接の原因が、うつ病患者である同人自身の手による自殺であることは、被告の損害賠償額の算定につき、相当程度軽減すべき事由にあたると解せられる。

また、本件自殺に供した帯に関し、前記のとおり被告に過失があるとは言え、一方原告ヨシ子においてもかねてその危険を懸念し、前記の如く緒方医師に対し、その帯を取上げるよう依頼していた程であるから、原告ヨシ子自身において、これを取上げて自宅に持帰ることも可能であり、そして、そうすることは容易にできたのにそれをせず、病院側の措置のみに任せたことは原告側(債権者側)にも過失があつたものと認めるのが相当である。

右の如き原告側の過失等を考慮するとき、当裁判所は前記損害額から六割を減額するのを相当と認め、佐太行の死亡による前記損害額のうち、その四割にあたる金二一九万五九六九円を被告に賠償させるのが最も妥当と考える。

3  原告らの相続

〈証拠〉によれば、原告ヨシ子は佐太行の妻、同展はその唯一の子であることが認められるから、右両名は佐太行の相続人として、被告に対する右債権のうち原告ヨシ子は三分の一にあたる金七三万一九九〇円、同展は三分の二にあたる金一四六万三九七九円の債権をそれぞれ取得したこととなる。

4  原告らの慰藉料

先ず、原告らの慰藉料請求権の存否について検討するに、前記のとおり、本件看護診療契約は、原告ヨシ子を要約者、被告を諾約者とする第三者(佐太行)のためにする契約とみられるが、諾約者としては第三者に対し債務の本旨に従つた履行をなすべき義務を負うと同時に、要約者に対しても同様の債務を負うと解せられ、特に本件のように、原告ヨシ子が佐太行の妻として、同人の安全適切な看護と治療を願つて看護診療契約を結んだものであるときは、債務の履行につき特段の利益を有し、したがつて、被告に対し、債務不履行に基づく固有の損害(精神的損害を含む)の賠償を求め得るというべきである。また、原告ヨシ子は妻、同展は長男として、不法行為に関する民法第七一一条の類推適用を受けるべき地位にあると言えるから、この意味でも固有の慰藉料請求権を肯認することができる。

そこで、その金額について考えるに、〈証拠〉によれば、原告らは佐太行の回復を願い、被告による万全の看護診療を期待して、労災病院から転院させて被告の手に委ねたのに、被告ないしその補助者の前記のような過失が一原因となつて、入院九日目にして佐太行の自殺という不幸な結果を招いたものであり、同人が南極探険隊員候補にも選ばれた有能なパイロットであつて、なお五一才で原告らの家庭の主柱であつたことなども併せ考えると、原告らの受けた精神的苦痛は甚だ大きいものと推察される。他面、佐太行の利益喪失による損害に関しさきに述べたところ(前記2)は、原告らの慰藉料額算定にあたつても十分に考慮すべきであるし、その他本件にあらわれた一切の事情に鑑み、原告らの精神的苦痛を慰藉するためには、原告ヨシ子につき金一〇〇万円、同展につき金五〇万円をもつてするのが相当と認める。

七以上の次第で、被告に対し、原告ヨシ子は一七三万一九九〇円、原告展は一九六万三九七九円およびこれらに対する本訴状送達の翌日であることが本件記録上明らかな昭和四七年四月二五日から支払済みに至る迄民法所定年五分の割合による各遅延損害金の支払を求め得べく、原告らの本件請求は、右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(原政俊 田川雄三 中路義彦)

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